2022年9月。
猛烈な台風14号が日本列島を襲いました。
その影響を受け、京都市ではあらかじめバス停を倒しておくという措置がとられました。
このとき、倒されたバス停には次のような張り紙が貼られていました。
これだけをみると単なる台風対策の一環でしかないのですが、この施策に対して…
バス停が倒れているじゃないか!
といったクレームや、
バス停が倒れていたので直しておきました
といった報告が相次ぎ、バス事業者が対応に追われることになりました。
これらの一連の流れから話題になった言葉が「善意の悪魔」という言葉です。
おせっかいな人…みたいなイメージ?
本質的には「おせっかいな人」よりも自己中な人かもしれない
善意の悪魔とは?
善意の悪魔とは、よかれと思って余計なことをする人のことです。
自らが正しいと思い込んでいる為、自身の間違いに気づくことはありません。
また、なかには情報収集や状況判断能力に乏しい人もいるため、そのような人が善意の悪魔となると周囲に多大なる悪影響をおよぼします。
冒頭の倒されたバス停の件に関しましても、注意書きの張り紙はしっかりと貼られているのです。
ですが、その注意書きは読むことなく、自身の心情に向かって勇み足で行動します。
その行動はクレームであったり、勝手にバス停を直したりと様々ですが、共通しているのは少なからず独善的な思考が含まれている点です。
本人はよかれと思っているのが…たち悪いよね
だからこその…悪魔なんだよね
とりあえずクレームを言いたいだけの人
今回の件に関わらず、
物事に対してクレームをいう人の大半は自分のイライラ、ストレスを発散したいだけの人です。
人というのは不安定な生き物です。
何か嫌なことがあったり、うまくいかないことがあると他のことに八つ当たりします。
例えば、
宝くじにあたった直後の人が倒されたバス停を気にしますか?
おそらく多くの人はそれどころではない、どうでもよいと感じるでしょう。
では逆に、
信じられない不幸や不運に見舞われた人が倒されたバス停をみたらどうでしょう?
おそらくなかには、とりあえず何かイライラしてきてクレームを出す人もいるでしょう。
ちょっと極端な例を出しましたが、人というのは少なからず日々の気持ちに左右される生き物です。
善意の悪魔にしても、一見正義にみえるような行動をしているだけに悪質です。
そういえば、人のいない屋外で…マスクをしろと大声で注意されたことがあるんだけど…あれも善意の悪魔?
善意の悪魔だね…大声で怒鳴るほうが飛散リスクはあるんだけど…それよりも注意することで快感を得たかったんだろうね
承認欲求を満たしたいだけの人
冒頭のバス停の件において、クレームを言いたいだけの人と同じぐらいやっかいな人がいます。
それは、
承認欲求を満たしたいだけの人です。
このタイプの人は、誰かに注意したり怒鳴ったりしてストレスを発散したいわけではなく、あくまでも自身の承認欲求が満たされるかどうかを基準に行動します。
どちらも同じようなもんじゃないの?
似ているけれども微妙に違うんだよね
もちろん、承認欲求を満たしたいだけの人が悪いというわけではありません。
「やらない偽善よりやる偽善」といった言葉があるように、なにかしらの下心があっても行動すること自体は悪いことではありません。
問題は、
承認欲求を満たしたい思いが先走るあまり、情報収集や状況判断を怠ってしまうことです。
バス停の件にしても、冷静になって状況を確かめると注意書きの張り紙に気づくはずです。
ですがおそらく、倒されたバス停を見た途端…
これは直さなければいけない!
と思ったのでしょう。
さらに、
そのことをバス会社に伝えることで承認欲求を満たそうというわけです。
誰にも報告せず黙々と行動する人は「勘違いしやすいおせっかい人」ですが、誰かに承認欲求を求めて迷惑がられるのが「善意の悪魔」です。
このタイプの人には本質的には良い人も混ざっている為、クレームでストレスを発散しているだけの人よりもやっかいなことがあります。
実際、倒れたバス停をみたときに、
- もしかしたら勝手に倒れたのかもしれない
- 再び倒れたら危険なことが発生するかもしれない
- 事前に注意喚起しておかないといけない
と純粋な気持ちから報告した人もいるでしょう。
その行為自体はとても良いことなのですが、その報告行為をする人が10人…100人…1000人と増えていけば、バス会社としてはたまったものではありません。
台風時はバス停を倒していると周知すればいいのでは?
と思われる人もいるかもしれませんが、それもどのように周知するのかといった問題があります。
張り紙は見ないでしょうし、ホームページなんてさらに見ることはありません。
となると、どうするのか?
今回のように「善意の悪魔」というワードを使ってピックアップ記事にするというわけです。
あくまでも個人的にはですが、今回の一連の「善意の悪魔」記事は台風時にバス停は倒れているというのを広く周知する結果になったと感じています。
悪い人だけど…悪い人じゃないのが難しいよね
良い人もいるんだけど…迷惑をかけているのは事実なんだよね
善意の悪魔は日常生活であふれている
実は「善意の悪魔」という言葉自体は昔から存在しています。
ですので、台風14号のバス停事件において、その言葉がピックアップされて話題になっただけです。
そして実際、善意の悪魔は日常生活のあちらこちらに存在します。
例えば、震災の際になぜかつくられる大量の千羽鶴。
あれを率先して作り出す人、さらには震災先へ身勝手に送り付ける人も善意の悪魔です。
実際に何かしらの震災を経験したらわかるのですが、震災を受けた人にとっては千羽鶴は迷惑です、いりません。
少しオブラートにいえば、震災から復興するまでのゴタゴタした時期にはいりません。
もう少し落ち着いてから、千羽鶴を飾るぐらい余裕ができたときに送っていただきたいのです。
ですが、善意の悪魔には伝わりません。
震災のたびに余計な廃棄コスト・手間のかかる千羽鶴を作り続けます。
それどころか、そのことを指摘すると…
こっちは善意でやってるのに何て言い草だ!
と逆切れされることもあるでしょう。
「善意でやっているのに」と言いながら迷惑行為をしている人は間違いなく善意の悪魔です。
逆を言えば、
とてもよい行為をやっているのに誰にも言わず、それをあたりまえと思っているのは善意の天使です。
できれば「善意の悪魔」よりも「善意の天使」でありたいものですね。
震災直後に千羽鶴を送りたがる人…結構いるよね
冷静に考えれば無意味とわかるのに…ホント不思議だよね
お客様各位
台風14号接近に伴い安全の為バス停を事前に倒しております。
ご不便をおかけしますが、予めご了承願います。
尚、今後の運行情報等は京阪バスホームページでご確認願います。