こんにちは けいこぶ(@kei_cob) です。
ここ数年、定期的に「無敵の人」による大犯罪が起きていますよね。
基本的に「無敵の人」の犯罪は防ぐことができません。
なぜならば、「無敵の人」は一般人だからです。
何の監視対象でもない一般人が「とんでもないこと」をしようとした場合、今の日本では割と簡単にそれが実行できてしまいます。
もちろん、その過程(モノの準備や下回りなど)で不審者として捕まることもあるでしょうが、用意周到にやられてしまったは成す術がありません。
「無敵の人」に対してどうすればよいのかを考えた場合、現状では「遭遇しないように祈る」しかありません。
日本の日本は「無敵の人」を生み出しやすい社会にしてしまった以上、「無敵の人」は避けられないのです。
よくテレビなどでは、「無敵の人」による大犯罪が起きた後…
何が彼らをそうしてしまったのでしょうか?
といった議論が盛んに行われていますが、私は単に「貧乏でつまらない人生だから気持ちをスカっとさせるためにやった」だけだと思います。
そんなに難しい問題ではありません。いたってシンプルな理由でしょう。
ですので、そのような議論が「なぜつまらない人生になってしまったのか?」といった方向に進むのならおもしろいのですが、単に「そういった行動をする人がわからない」といった方向に進むと途端につまらなくなります。
「無敵の人」の特徴はとてもシンプルです。
「無敵の人」となってしまう理由
それでは「無敵の人」のシンプルな特徴。
それは「相対的貧困者である」ことです。
相対的貧困率の上昇が止まらない
ここで重要なのは、貧乏ではなく「相対的な貧乏」であることです。
相対的な貧困は絶対的な貧困とは違います。
あくまでもコミュニティー内での「相対的な比較」であることが重要です。
つまりは、周りが全員貧乏であったのなら、相対的な見方をすれば貧乏ではないのです。
そして…
これを日本全体でとらえた場合、相対的貧困者は急激に増えています。
最近では富裕層と貧困層との2極化なんて言いかたもされますね。
西暦 | 相対的貧困率 |
1985年 | 12.0% |
1994年 | 13.8% |
2003年 | 14.9% |
2012年 | 16.3% |
日本の相対的貧困率が上がり続けています。
相対的貧困率が上がるほど「周りより恵まれていない」と感じる人が多くなり、それがいつしか「恵まれている周りが憎い」と変化してしまいます。
「無敵の人」が生まれる理由はとてもシンプルで、単に相対的に貧乏な人が増えたからです。
アフリカの人たちよりマシ?本当にそう?
よく、貧乏な人に対して…
アフリカの貧しい人たちに比べたらマシ!
と主張する人がいます。
私はああいった主張をする人は「コミュニティーをかなり広くとらえている人」だと思っています。
事実としては合っています。
世界規模で考えた場合、日本は相対的にかなり裕福です。むしろ全員が金持ちといっても過言ではありません。
ただ…
そんなにコミュニティーを広くとらえられる人は多くありません。
それゆえほとんどの貧困者は、会ったことのないアフリカの人たちを例に出されたとしても…
アフリカなんで知らねえし!ココ日本だし!
となるわけです。
「無敵の人」のほとんどは、日本というコミュニティーで考えた場合の「相対的貧困者」がほとんどです。
ここをはき違えると議論は一向に進みません。
ここは日本です。
世界というコミュニティーでの貧乏な人の救済を考える前に、自国のコミュニティー内で貧乏な人の救済を考える必要があります。
まとめ
「無敵の人」の議論をする際には、背景にある相対的貧困率を考える必要がありますが、なぜか貧困に関してはサラッと流される風潮があるように思います。
貧困もそうだけど、それよりも本人がおかしかったからだよね
その方向に誘導されている気がするのです。
結果だけ見れば、本人がおかしかったのは事実でしょう。
ただ…
卵が先か?鶏が先か?
といった具合に、
貧困だからおかしかったのか?本質的におかしかったのか?
は重要だと思います。
「無敵の人」によって行われた大犯罪は許されるものではありません。
ですが、実行犯が本質的におかしかったのではなく貧困によりおかしくなってしまったであれば、日本社会全体に責任がないとも言い切られません。
こういったことを言うと…
そんなのは甘えだ!本人次第!
という人が一定数おりますが、そのような風潮が更なる「無敵の人」を生み出していくんだなとしみじみ思います。